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文学新人賞受賞に必要な小説の「新しさ」

世の中にはジャンル問わず、小説で新人賞を獲りたいと思っている方が多いです。新人賞に限らず、賞金や書籍化を目指しての公募もあります。

公募や地方文学賞は新人発掘が目的ではないこともあるので、一概に言えませんが、文学新人賞の選評を読んでいると、「この作品には新しさがなかった」などといった評が見られます。

では、この「新しさ」とは何なのでしょうか?

■うまい小説が受賞するとは限らない

昨今、インターネット上の小説投稿サイトがひしめき合っています。特にエンタメ系は人気作品ともなると出版社から直接声がかかり、書籍化というムーブメントも生まれています。そのため、なおさらこういう場で作品発表する人が増えています。

これらのサイトでは、読者の閲覧数や評価システムが構築されているので、数値化されています。必ずしも数値がいいから、いい小説とも限りませんが、一つの指標にはなります。

当然、投稿者のレベルは高くなっていきます。そういった人たちが新人賞に応募すれば、こちらもレベルが高くなる。

レベルが高いということは、良作が増えるわけです。となると、うまい小説はゴロゴロある。それだけでは受賞できないというのは必然です。

■新しさとは何なのか

では、受賞作を選ぶ上で、何を基準とするのか。「新しさ」というわけです。

ただ、誤解してはいけないのは「新しさ」というのは題材についてではありません。大きくは作風と内容に由来します。

たとえば、「太宰っぽい小説だね」と言われたとき、決して褒め言葉ではありません。その段階で「太宰の模倣」と捉えられてしまっているのです。

一時は、「ハルキチルドレン」と評される作品も多くありました。村上春樹さんの小説っぽいという揶揄です。実際、ファンタジーっぽい応募作品が多かったと聞きます。

ミステリーでも「『アクロイド殺し』みたいだね」「『砂の器』とトリックが似ているなあ」と言われたら、もうおしまいです。

つまり、文学新人賞の選考では、先行作品、先行作家に似ているということは、マイナス評価だということです。なぜなら、それらの小説っぽいならば、太宰治、村上春樹、アガサ・クリスティ、松本清張を読めばいいのですから。出版社は求めていません。

■新型コロナは扱わないほうがいい

題材の新しさ、ということを言えば、昨今の新型コロナウイルス。そう思いつく人は多いでしょう。でも、テーマにしない方がいいでしょう。

プロの小説を読んでも、正面から新型コロナと向き合っている作家はいません。ということは、それだけ取り扱いにくいということでしょう。また、収束しているわけではありませんから、総括しづらいので評価もしにくいのです。

実際、現場レベルでは新型コロナに関連しそうな年、たとえば2020年、2021年という時間軸は避けるようにしています。必然的に東京オリンピック・パラリンピックも扱えない。仮に扱った以上、年が特定されます。登場人物は外出自粛を求められますしマスク着用が求められます。整合性を取らないといけません。

それだったら、年が特定される記述は避ける、となるわけです。登場人物もコロナ禍では自由に動けません。読者にツッコミを入れられますから。

何も新型コロナに限りませんが、時事ネタを小説で扱うのはなかなか難しいということです。

■小説でしか描けない世界を

では、「新しさ」とは何か。それは小説でしか描けない世界を描くということにつながると思います。

SFを書くことを推奨しているわけではありません。しかし、小説というのはフィクションです。現実ではないというところが重要です。

しかも小説は言葉を使うだけです。絵を描けるわけではない。言葉の情報、言葉の力だけで世界を描いていく。

そのためには、文体の新しさも求められますし、テーマの新しさ、世界観の新しさ、すべてを求められていきます。

結局は、自分で見つけていくしかないのですが、少なくとも今回書いた記事の中で、間違った「新しさ」というものはおわかりいただけたのではないでしょうか。