小説の書き方講座⑤「一人称か三人称か」パート2
さて、小説の書き方講座の第5弾「一人称か三人称か」のパート2です。前回は、一人称について言及しましたが、今回もその続きです。
そもそも、一人称の小説を読んでいて、こういう疑問に行き当たることはありませんか。
「主人公の僕は、一体、いつ、どこでこの物語(小説)を綴っているのか」
一人称の小説の場合、物語が時系列に沿って同時間で語られている場合があったり、過去を振り返って語られている場合があります。となると、この主人公の「僕」あるいは「私」「俺」といった人物は、この物語を語る、綴る今、どこにいるのか、いつ書いているのか、そういった「そもそもの疑問」が湧いてくるでしょう。
案外、盲点といえばそうなのですが、文学研究においては、よくあるアプローチともいえます。
たとえば、こういった冒頭で小説が始まるとします。
二十年前、私は大学生だった。あのとき、私に、いや今の私にも大きな影響を与えた人物がいた。鬱屈とした日々を送っていた私が、まったく違う人生を送ることになったのは、あの人に会ったからだ。私は今でもその人の本当の名前は知らない。当時、その人は、サトルと呼ばれていた。
この場合、この小説を読む人は、こう断定してもいいはずです。
「この『私』は、今こうして二十年前のことを振り返っているということは、この小説で主人公である『私』が死ぬことはないんだな。死んだとしたら、これを書くことはできないから」
もちろん物語がクライマックスを迎え、一度、時間の流れが一段落し、この「私」が今、さらに歳を重ね、死を前に残りのエピローグだけを書き足している、という展開もあるでしょう。しかし、大体は、一人称である場合は、先の断定のとおりでなければ、一人称としては成立していないわけです。
つまり、反対の立場でいえば、小説を一人称で書こうと思っている人は、まず、この疑問の答えを用意していないといけません。これから小説を語る「私」「僕」「俺」は、一体、いつ、どこにいるのか。このことを、案外無自覚に書いている人が多いとは思いますが、このことを考えると、一人称に深みが加わります。それは、この主人公「私」は、自分の都合の悪いことは触れたくないから、あえてあのことは書かないのか。登場人物Bのことを悪く書いているけど、それは当時も今も変わらない感情なのかもしれない。などと、読んでいる側にとっても、深く読むことができるということです。
ただ単に書きやすいから、三人称が苦手だから、という理由だけで、一人称を選ぶのではなく、上記のようなことに思いを傾けると、よりよい小説が書けるのではないでしょうか。