小説の書き方講座⑨「文体とは何か」パート2
さて、前回につづき、「文体とは何か」をテーマに進めていきます。
具体的に、どういった文体があるか、わかりやすい例を挙げれば、太宰治。太宰は、いわゆる饒舌体という文体を活かし、多くの作品を書いてきました。それは、時に、読者に対して「君(きみ)」と語りかけるもので、読んでいる者は、著者から直接声をかけられているように感じ、小説に引き込まれる。あるいは、「著者は自分のことをわかってくれている」という気持ちにさせてくれるといいます。この文体により、太宰は多くの読者の心をつかみ、現在も若い人を中心に人気がある所以ともいえるでしょう。
たとえば、「津軽」という小説の末尾は、こうです。
まだまだ書きたい事が、あれこれとあったのだが、津軽の生きている雰囲気は、以上でだいたい語り尽したようにも思われる。私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。
こう締められています。なんだか、自分に語りかけられているように思います。
太宰の場合、こういう特異な文体を駆使し、それに成功しました。時には難しい言葉を使うこともありますが、おおむね言葉は平易でありながら、リズムや語感といったものを大切にしていたと思います。実際、太宰は落語の影響を受けていたともいわれています。
誰かに話すように書くから「饒舌体」というのですが、これを使うのは、なかなか至難の業。現代の作家では、町田康さんが有名ですが、今後、新人が饒舌体を使うとなると、太宰や町田さんを超えたものでないと、ただの模倣と取られてしまうでしょう。つまり、文体は模倣ではいけないのです。